光を消す、暗闇を灯す。





私たちの身体には、抜けない棘が突き刺さっている。




大震災や原発事故には「最後」というものはありません。

始まりも終わりもなく、途方もない時間のスケールで幾度となく再帰してきます。

つまり「幽霊」であるということ。

これが大前提です。


しかし、周知の通り、この前提は全く共有されていません。


私たちは、人間の手には負えない自然の抵抗を前にした時、そのスケールのあまりの大きさに立ち尽くすでしょう。

そして、再三議論を繰り広げた挙句、また過去と同じ道のりをたどり「終わり」を設定し(したことにしておく)、気づいた時には、忘却への退行が残されるている「だけ」なのです。


この歴史が、この現状が、私たちに語りかけるように、忘却と復興は2つでセットというのが通念です。

言い換えれると、「始まりから終わり」という一直線の、強い時間の中に閉じ込められているということです。

決して自分たちの外側へ出ようとはしません。


しかし、不思議ではないでしょうか?

日々刻々と移ろう時間の中に、どこに「終わり」を設定するのでしょうか。

仮に、終わりを設けるとすれば、終わりの先には必ず「始まりがある」ということになります。

そうでなければ、この時計の中の時間の流れを説明することはできません。

つまり「終わり」は、いまこの文章を読むことができる限り、「終わり」だけで決して自律することはできないのです。

いまこの瞬間は、常に仮設され続け、過去と未来の亡霊に取り憑かれて、ようやく初めて自律しています。


「終わりと、まだ見ぬ終わりは、いまこの始まりに取り憑いている。」


これが、私達の目の前に大問題として、いままさに立ちはだかるパラダイムシフトが訴えかけることではないでしょうか。

この時点で、現状の「忘却の歴史」とは違う、「ある別の方法としての歴史」を紡いでいくことが可能になります。


それでも一直線の時間軸だけにかまけるあらゆるメディアは、今後も一定の周期で

「決して忘れてはならない」と口を揃えるはずです。

そんな言葉を、私たちは数え切れないほど耳にし、もはや聞くことすら億劫です。

このとっても便利な呪文が存在するが故の、忘却の歴史です。

私たちは今こそ、単線的な時間軸の中で起こっている「始まり、終わり」の区別を強める議論から抜け出す必要があります。


別の時間への、その果てしない彼方への旅の、ただ一つの持ち物は


「必ず忘れてしまう」


ということ。

あとはこの手に入れた、たった一つの道具を使い、いかに対象の特性を見極め使用していくか。


ここからは如何に特性を見極めて使用するのか、そこに焦点を当てて以下にすすんでいきます。




壁紙の模様の中に顔を見つけ、夜空の星から星へ線を引く。

これは、私達のこの「たよりない視覚」が存在するかぎり普遍です(突然変異しないかぎり...)。

存在しない顔や空間、線が不意に現れる。

つまり幽霊は、この眼とある対象との間で身を隠しています。

いつかきっと「忘れていた」頃に現れ、日常の何気ない知覚を揺らすでしょう。

そして時には、星座の様に人の行動を左右します。

あるパターンに回収されてしまう、その一歩手前に取り憑く、不気味な存在なのです。

これが成立する為の条件は、


「在るとも、無いとも決定不可能」


ということ。


だから、またきっと、現れる(現れない)。


今も続く、今後の大震災の可能性、放射能汚染や内部被曝も、これと同じ条件の上に成り立っています。

そして、その中で私たちは「在るとも、無いとも決定不可能」という、その相反する両方を引き受け、生きていくしかない。

つまり、その仮想の平面(=足場)が無ければ、地に足をつけることはできない。

そうでなければ、生活がままならなくなってしまう。

より正確に言えば、「仮設であるはずの地平=仮想の平面」が、「不動の地平=実在の平面」へと転化し、その上で日々を過ごしているというべきではないでしょうか。


3.11のあの大震災と原発事故から数えても、まだこの文章を書いている時点で「たったの5年」です。

「復興と忘却は2つで1つ。セットでなければならない。」

というのは、この災害大国の歴史が語る言葉。


災害史の視点から見てみると、大震災をある種のサイクル(=パターン)として捉えた場合(もちろん括りきれない異例も存在します)、

人間の生と死のサイクルと互いの歯車がそもそも噛み合っていないのです。

その差、およそ50年程度。

この数字は各大震災発生時の間隔ごとに異なるため、正確な数字よりも、だいたい数十年程度の差があることを理解していただければ、この文章では差し支えありません。

そのため世代から世代へ、社会が移り変わっていく際に、その記憶や文献、石碑などの意味が先に失われていくのです。


しかし、それも「今までの話」。


今回はそれに加えて、原発事故が起こりました。

もっとタチの悪い状況で私たちは生活しているといえます。


平均寿命などというパターンは、もう当てにならなくなってしまったのです。

つまり今度は、人間の生死のサイクルが、その内側から崩れてしまいました。

震災と人の生死のサイクル、互いの歯車が噛み合わない方がまだマシです。

もはや「私たちの内側にあったはずの仮設の地平=仮想の平面」すらも疑わしい存在になってしまいました。


( 星座の線を引くためには、まず前提として平面が必要です。

  しかし、それぞれの星と星の互いの距離は全くバラバラです。

  つまり「仮想の平面」の要請なしに星座は描けないのです。)


ここで合わせて、写真と被災後の話を。

今現在、少なくとも日本の写真には、


「被災地へ赴き撮影した写真作品が、その出来事を代表しうるか」


という問題があります。

こう言い換えても大差はありません。


「大震災を扱った写真作品が、その出来事を表象できるか」


被災した現地の方たちの中のみを見ても、その出来事に対して意見や判断が複数化するように、

震災とは、津波とは、まるで瓦礫のように、一人一人の経験すらも断片化し、遠ざけ、近づけ、そこには「ある代表する意思」など決して存在できない状況を作り出しています。


作品とは、必ず作家の意図が介入するもの。

つまり、作品が「被災地の」「震災の」「原発事故の」という形でパッケージングし、流通すれば、ある作家がその出来事へ意識的に介入し、それを表象している、と捉えられるでしょう。


ここにこそ、震災以降の写真の問題があります。


より具体的に写真作家と評論家の共著、つまり「表現と言葉」というところに焦点を絞れば、『アフターマス』などがあげられます。

この本には、3.11の震災以降の写真を巡った論考が書かれています。

ここで日本を代表する写真評論家、飯沢耕太郎氏は、震災以降の写真を大きく流れを二分して提示しています。


一つ目は、ドキュメント。

二つ目は、それよりも更に主観的、表現意識の強い作品(より正確には作家)という棲み分けです。


ですが、ここにおいてそのような偽の対立軸を引く必要は一切ありません。

むしろ、引けるはずがないのです。


前提として、写真とは私たち一人一人からのフレームをこの世界に持ち込むことであり、カメラはそれを可能にする「道具」として存在します。

どのような場合でも、シャッターを切る(=フレームという限界を自ら設定する)という意思決定がなけば、そもそも写真は成立しないのです。

作家本人ではなく、被写体にシャッターを切らせる場合も同様です。


また、言い換えれば飯沢氏は、


「先に確固として存在する対象から出発する写真」と「先に確固とした対象が存在しない経験から出発する写真」

(あくまでこの本の中でのみ有効な分類)


という二分法で文章を展開してきます。

つまり、この二つの違い=主観には濃度が存在すると。


しかし、本当に主観に濃度など存在するのでしょうか。

仮にあったとしても、それは決して基準値を設けることも、一般化することもできません。

その計測のためのものさしは、どこから持ち込まれ、どのようにして可能になるのでしょうか。

主観とは「在った瞬間には、ただそれが在る」としか事後的に私たちは判断できないどころか、他者の主観の濃度を測ろうなど到底不可能です。


そして、ここで震災を表現の対象とした写真家に残された道は、大まかに分けて4パターンでしょう。


1:そつなく無難に被災地の住民の様子やポートレートを撮影する

2:住民にクローズアップせず被災地の風景を撮影する

3: 震災で経験したトラウマを作品の中で展開する(トラウマというメッセージの提示に終わる作品)

4: 長期にわたって復興の「様子を追う」(長期であるが、単線的な時間軸に囚われたドキュメント)


もちろん、他にもありますが大体この4種類におさまります。

これらの写真を見ている限り、共通していることは「すべてがトラウマで止まっている」ということです。

つまり、何の解決策も、具体的提案も、「今」どう行動すべきなのかという新しい判断も、何一つ持ち込むものではないということです。

一言で言えば、現状肯定の退行でしかない、といえます。

それは即座に、忘却への退行のみ、を意味します。


自明のことですが、震災について作品で取り扱うということは大きな反感を呼ぶものです。

飯沢氏も自身の言葉の中でそれを述べ、その上でこれからの写真家には被災地の方々との更なる高度なコミュンケーション能力が必要だと言います。

つまり、上記の4パターンを更に推し進めていけ、と言うのです。


間違ってもこれでは、日本を代表する写真評論とは言えません。

震災以降の写真の道を、何の批判もなしに、どうして無責任に示せるのでしょうか。

何故、震災を扱った形で流通する作品は、反感を呼ぶのか。

飯沢氏の文章はこの問題を一切スルーしています。

これは、それを受容している関係者側の問題でもあります。


では、飯沢氏のこの展開はどこで足を踏み外したのでしょうか。

答えは、簡単です。


個々のだれとも共有することのできないバラバラの経験を無視してしまった。


それだけです。

これを無視した高度なコミュニケーションなど、フィルムを入れ忘れたカメラでの撮影と何ら変わりはありません。


では、そのような道を無批判に繰り返すのではなく、

別の道を示していくとすれば、それはどのように可能でしょうか。


一言で言えばそれは、コミュニケーションの不可能性こそが、いま、震災以降の写真であり、唯一の抵抗である。

ということになります。


この見えない瓦礫(バラバラの経験)は、何ものにも代表できません。

つまり、単に被災地を撮影したなどという代表では到底ありえないでしょう。

ではそれでも尚、いま写真でこの現状に解決策を示すことは可能でしょうか。


使い古された言い回しを持ち出すまでもなく、写真はそもそも過去を扱うものであるというのは共通の事実であると思います。

しかしその過去は、基本的には生から死へ一直線に伸びた時間軸に閉じ込められた過去です。

つまり、ある写真を見る際に、対象を撮影した者の視線の位置と観者の視線が入れ替わり可能な写真であるということです。


最初に触れた通りですが、ここでは別の時間が現状の打開のためには必要だと書きました。

このパラダイムシフトが必然的に要請するように、単線的な今まで通りの撮影では大震災や原発事故は取り扱えないでしょう。

別の時間を、如何に立ち上げるか。

それは端的に言えば、撮影したものが現実のフレームから外へはみ出てしまうということです。

写真のコードが幽霊のように漂い、現実の世界に定まらない状態。

観る者の視線が常にすれ違い、宙に漂う状態。

対象を定めようとすれば、こちらが能動的に一時的な足場を組み立て、崩してを各個人の中でバラバラに繰り返すしかないということです。

経験が、生きるということが、現実へと着地できない浮遊感は、私が経験してきた今だ到来していない東南海地震、外から訪れる突然の死と隣り合わせの生活とまったく同じです。


いま、そしてこの先、私たちの明るい部屋の光は途絶え、掛け時計のチャイムがある一定の周期で聞こえてきては、現実の時間と身体とを一瞬重ね合わせるだけなのです。


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