幽霊は地平を揺らすか

“ 人間は大昔より、巨大地震の記憶装置を作ることに失敗し続けてきた。けれども、私は幼少期より「不気味な時間」を経験してきた。その居心地の悪さこそが人に想起することを迫る。オブジェクトが人間へと抵抗すること。それは美術作品の持つ力である。 ”


・新たな写真
 《New Order》とは、写真を再定義する試みだと言える。一つずつ順を追って見ていこう。見たままの印象ならば平面の上で、フィルム写真(航空写真)とデジタル写真(スキャンされたモチーフ)が交錯している。そしていま私は「スキャン」という言葉を使った。これは非常に重要である。一体どういうことだろうか。

 20世紀は映画の時代であった。21世紀の現代はタッチパネルの時代といえるだろう。誰しもがスマートフォンを持ち歩き、スマホに付属したデジタルカメラで撮影を行う時代である。デジタル写真は「エリアスキャン方式」と呼ばれる技術によって撮影を行う。カメラを使い世界をスキャンすることで、情報的平面を構成しているのである。もちろんスマートフォンに付属しているカメラもエリアスキャン方式である。つまり「物質的痕跡」と「スキャン」は根本的に異なるのである。このようにデジタル写真を「スキャナー」として捉えることは、アナログ写真とデジタル写真の差異を物質的/情報的という対立で捉えるよりも核心に迫っている。すでに感の良い方ならお気づきかもしれない。スキャンして捉える世界は、私たちが生身の身体で経験する世界とは全く異なるのだ。それは物質的な延長ですらない。

 『Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit』Walter Benjamin,[1936]において、ベンヤミンはカメラを人の視覚を拡大する装置として定義した。つまりカメラアイが人の視覚の延長線上に位置付けられていた。もちろんこの定義は光学的なフィルムカメラの時代におけるカメラの定義である。だからこの定義は、現代においては次のように言い換えねばならない。(デジタル)カメラは人の視覚とは異なり、拡大ではなく複合的に作用する。装置という言葉も「シミュレーション」と言い換えた方が良いだろう。スキャンされたこの世界は、人の経験する世界とは異なる。スキャン行為によって得られるのは、エリアスキャン方式という固有の技術における論理的完結性が包摂する時間と空間である。カメラアイと人間の視覚はもはや曖昧に混同されることはない。

 ルネサンス時代の15世紀にアルベルティが「絵画は窓である」と記したように、芸術の歴史とはつまり世界を表現する者たちの歴史であった。いま、私たちはテロリズムやポピュリズムが席巻する時代に生きている。世界はIOT(Internet of Things)に囲まれ、ますます複雑化していく。近代よりも何倍にも複雑化したこの世界をどうのように表現するのか。この問題には世界中のアーティストも、まだハッキリとした応えを出せていない。いまこの時代に「窓という比喩」はその力を失った。そして「光学的な窓」の代わりに「情報的平面」が現れた。この事件によって、認識のパラダイムシフトが起きている。ここではあまり触れられないが、オブジェクト指向プログラミングの発明やGUI(Graphical User Interface)の発明は重要である。ひらたく言えばかつて窓の向こうにあった世界は、すでに私たちの新しい情報的平面の向こうには無いのだ。ここまでの論考は《New Order》における重要な設計思想の一部である。だからこそ本作品は、視覚が捉える世界とは異なった様相を見せている。

《New Order》は私の幼少期からの震災に対する経験から発明された作品であり、この経験と現代に起きている認識のパラダイムシフトは重要な関係を持っている。この作品の問題は、私たちの世界の認識の仕方の問題であり、優れて写真の問題でもある。


・未だ存在しない巨大地震
 Yuki Yamazakiは1993年、太平洋に面する静岡県に生まれた。実家は海が近く、山や川もすぐ横にあるのどかな環境であった。だからこそ原子力発電所もそこには存在する。これは日本の政治的理由によるものである。首都である東京には、原子力発電所を作ることはないのである。だがおかしなことに静岡県は非常に危険な地域である。ここはマグニチュード8〜9クラスの東海地震(巨大地震)が来ると予想されている震源地に位置するのである。この地域における最新の巨大地震は1854年に起こった東海地震だと記録されている。それ以降は頻繁に小規模な地震を現代まで繰り返している。すでに今から約80年前の1944年ごろから次の東海地震は警戒され続けている。前回発生から約150年となる1990〜2000年代には、巨大地震の前兆を示す現象が相次いだため複数の研究者がそれぞれ別の見地から発生時期が非常に近いと予想された。まさにその最中、1993年に私は生まれたのである。

 私は幼少期より、いつ発生するか分からない巨大地震の恐怖に怯えていた。年に数回は必ずTVの特集番組で被害予想のCG映像が流れて来る。それは非常にヴィジュアルな経験であった。日本でも珍しく、静岡県の学校の教室の椅子には各生徒用の防災頭巾(通常時は座布団のような役割をするが、非常時に頭を覆う大きな帽子のようなもの)が存在する。学校や地域組合でも頻繁に防災訓練が行われる。もちろん原子力発電所が万が一、爆発した場合の想定と対応が教えられる。対応とはいえ、原子力の前で人ができる対応は無力に等しいことは小学生の彼にも理解できた。何のために防災頭巾を被るのかも分からなかった。そのため、広島・長崎の被曝の様子を教室のTVで勉強した。これもまた非常にヴィジュアルな経験であった。そして最悪なことに、この静岡県には富士山が存在する。日本一高い山は美しく、毎日眺めることができた。けれどもあの山は、巨大地震によって確実に噴火するのである。マグマが流れ出した場合の被害予想マップやCG映像も、ここの住民には当たり前である。実家で家族と食卓を囲む時も、巨大地震が来た場合を想定してどのように避難経路を確保するのかを話し合うのが日常であった。くどいようだが最後に一つ。ここを火災に加えて、巨大津波が襲うのである。太平洋の近い我が家は壊滅的である。津波が広範囲に襲いかかるスピードは非常に速い。逃げることだけでも精一杯である。我が家の台所の地下には必ず、防災グッズや一定の食料と水を確保していた。それも役立つかどうかは謎であった。

 ここでは書ききれない経験である。だが、もちろんそれでも毎日は日々過ぎていく。止まらずに日々過ぎていく時間は、直線系である。しかし、在るとも無いとも決定不可能な「不気味な時間」が幼少期より彼の横で時を刻んでいたのだ。楽しいことも悲しいことも経験して育ってきた。それでも次の瞬間、いつ被災するのかは最先端の科学でも予測が困難である。はたから見れば、今日まで東海震災を経験せずに生きてきたかのようである。


・もう一つの世界で、私は死んだ
 そして2011年3月11日、東日本大震災が起こった。マグニチュード9クラスの東海地震と同じ規模の巨大地震である。その時、私は震源地からは遠く離れた静岡県にいた。けれども、大きく揺れたのを覚えている。TVからは悲惨な映像が目に飛び込んでくる。それはとても不思議な経験であった。日本中が東海地震に警戒し続けてきたが、想定外の東日本大震災が起こったのである。つまりTVから流れてくる東日本大震災の映像は、「私が経験するはずの巨大地震」であった。現実の私は被災していないという事実との落差が大きく、すぐには状況を飲み込めなかった。巨大な津波が街を飲み込み、そして福島第一原子力発電所は爆発した。何度もいうが、これは「私が経験するはずの巨大地震」であった。3.11の直後から「東海地震が連動して起こる可能性」が国内で大きく報道された。内陸の断層の動きも活発化したのだ。もちろん静岡県でも非常に警戒が高まった。現に3.11の余震で毎日、静岡県も揺れていた。

 まだ日も昇らないある早朝のこと。私が自室で寝ていると、ベットが大きく揺れた。本棚が倒れ、脊髄反射で目を覚ました。「ついに、あれが来た……」とすぐに理解した。逃げる気力すら奪われてしまうほどの恐怖が込み上げてきた。このまま眠り続けて、死んだ方が楽であると思った。私たちは人間の手には負えない自然の抵抗を前にした時、立ち尽くすしかないのだ。棚が倒れて開かないドアの向こうから母の声が聞こえる。私はベットから起き上がり、リビングのTVを家族で囲んだ。ニュース速報が流れてくる。その文字を眺めながら、非常に大きな揺れであったことは確認できた。けれども「科学的には東海地震ではない」ようである。それは3.11の余震だった。ここでもまた私は事実との落差が大きく、すぐに状況を飲み込めなかった。私の中の特殊な経験では、「確かに東海地震が起きた」のであった。そして何よりも死ぬはずであった。あの瞬間、世界が分岐した。ありえたかもしれないもう一つの世界で、私は死んだのだ。では、一体いま生きているこの身体は何なのか。私がいま体験しているこの世界は何なのか。2018年12月30日を迎えた今日も、未だに東海地震は起きていない。


・情報処理の風景
 この特殊な経験を作品へと組織することは、私の使命であった。非常に重要なことだが《New Order》は「特定の地震を表現した作品ではない」。何度でも言う必要があるが、東日本大震災の作品ではない。瓦礫のように断片的でバラバラな壮絶な経験を、作家が代理して表象(representation)することはできない。美術の世界では、ホロコースト以降に表象不可能性という言葉で語られてきたものである。だからこそ彼は特定の震災を代理して表象するつもりはない。しかし私は、特殊な経験を普遍化することを選んだ。

(東日本大震災の後に、こぞって写真家がその作品を制作したが、私はそれらの多くが失敗していると考えている。その作家がわざわざ作る必然性が無い作品も多い。政治的に正しいことを表現することで、作品の質を担保しているものだ。それは欺瞞である。ジャーナリズムの領分と芸術の領分を間違えた作品も多い。)

 巨大地震や原子力事故に「最後」というものは存在しない。それは始まりも終わりもなく、途方もない時間のスケールで幾度となく再帰してくるものである。それは幽霊のような存在である。今も続く放射能被曝、大震災も同じである。地球が生きている限り大地は揺れ、原発も人間が管理する限り「また」爆発する。これは人間だけに現れる人為的事故である。認知可能な「今」を超えた長大な未来へと、震災や内部被曝はだらだらと続く。

 第一に、自然条件は受容されるものではない。さらにそれは、それ自体で存在するものではない。自然条件とは、住民の技術および生活次第で変るものである。住民がそれを規定するのであり、また一定の方向に利用することによってそれに意味を与えるのである。自然はそれ自体で矛盾したものではない。そこに加えられる特定の人間活動とのかかわりあいにおいてのみ、矛盾を生ずるものである。
(『野生の思考』クロード・レヴィ=ストロース/大橋保夫訳、みすず書房 [1962] より引用)

 震災とは人為的事故なのである。つまり人間主義的な観点でのみ、自然災害は発生する。人間主義の限界は明らかに見えている。メディアは事件が起こるたびに「決して忘れてはならない」と口を揃える。しかし「必ず忘れてしまう」のが人間の本質である。まさに、私たちは震災を記憶することに失敗し続けてきた。災害史の視点から見た場合、大震災をある一定のサイクルとして捉えることが可能だ。日本では、約130年サイクルで巨大地震が起きている。つまり、人間の寿命のサイクルと大震災のサイクル、この二つが噛み合っていないのだ。現代の平均寿命でもその差は、およそ50年です。大昔であれば、その差はより大きくなる。そのため、世代から世代への伝承が上手く機能しない。口頭での語りや、文献、石碑等が機能不全を起こすのである。石碑も私の実家の近くにあるが、昔の言葉なので読めないということが起きる。ちなみにその石碑は、過去にここまで津波が来たという印です。(平均寿命に関しては、原発事故が起こった現代では機能しない。一見、健康に見えても寿命は決して分からなくなってしまった。)だからこそ本作品では、「不気味な時間」を再生させる記憶装置を使い、人間へと抵抗するのである。それは不可能かもしれない。それでも非現実的に現実の世界へと介入するしかない。それこそが芸術の領分であることを信じて。

 ここで問題が発生する。直線的な時間モデルに縛られた写真では記録することができないのが「不気味な時間」である。それは未来・過去・現在を攪拌する、場所なき場所に流れる時間。シャッターを切った瞬間、過去(痕跡)を受けいるしかなかった写真。だが、デジタル写真(写真の幽霊)の発達した現代では、果たして本当にそうだろうか。

 私は「不気味な時間」を立ち上げることについて、Google Earthの3Dデータによるストリートビューから着想を得た。この3Dデータによるストリートビューは、モチーフのクオリティが非常に低い。つまり被災地にしか見えないのだ。このクオリティは地球規模に及ぶ試みのため仕方ないだろう。

 現在、写真から3Dデータを生成する技術は発達途上にある。アルゴリズムの演算から完璧なフォルムの整ったデータを完璧に生成することは難しい。ここに直線的な時間に縛られてきた「写真」から抜け出し、「不気味な時間」を発生させる萌芽が存在する。建築物や風景などを撮影し3Dデータに変換した際、得られるイメージは誰が見ても「瓦礫」である。被災していない場所が、デジタルスキャンによって次々と被災していく。撮影行為によって震災を発生させるのである。それは「いま、ここ」には存在しないオルタナティブな幽霊的時間である。さらに、不気味なデータ演算の群れという「スキャンの本質」がむき出しになる瞬間でもある。彼は3Dデータを生成した後、モチーフの色を抜き取りモノクロームへと変換する。航空写真と3Dデータという互いに完結した形式が平面の上で交錯する。その2つの形式は決して交わらない。けれども交わろうとするのである。

  壁紙に顔を見つけ、星から星へ線を引く。私たちの「たよりない視覚」は、この目が存在する限り普遍的につきまとう。そこには存在しないはずの顔や空間、線が不意に現れる。露骨に言えば、ゲシュタルト崩壊である。幽霊は、対象と目の間で身を隠す。「忘れた」頃に現れ、日常の知覚を揺らし、時には星座の様に人を動かす。特定の場所に属さないその被災地は「いま、ここ」の地平(認識)を揺らし、まだ見ぬ被災地を写しだす匿名のイメージとなる。この状態はまさにYuki Yamazakiが幼少期よりトラウマのように感知してきた「不気味な時間」である。10万年後の人々は、この作品を研究できるだろうか。できる限り、暗号化したつもりである。誤読されたとしても、創る価値はあったと確信している。一見して分かる通り、《New Order》は震災大国の作品には見えない。だからこそ、私は自信を持ってこれをリビングに飾ることができると確信している。なぜなら、Yamazaki Yukiという固有名の染み付いた震災の作品であることに誰も気がつかないからである。訪問者はこう言うだろう。「あら、スタイリッシュなモノクロ作品ね。ところでこのモチーフは何?そもそも写真なのかしら?」。その会話から、私の特殊な記憶が再生されるだろう。私はそれこそを願っている。出会うはずのない思考と、出会うはずのないもう一つの世界と、そこで出会うのである。

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